~かつて日本最大の製糸工場片倉組の本部事務所~
かつて、名実ともに日本最大の製糸工場だった片倉組の本部事務所。事務所は明治43年に建築されました。国登録有形文化財。
片倉市助は、明治6年(1873)に自宅の前庭の小屋を使って10人繰の座繰製糸をはじめました。長男である初代片倉兼太郎は明治11年(1878)に川岸村(現岡谷市三沢)の垣外地籍に、器械製糸垣外製糸場32釜を設立、操業を開始しました。明治23年には、松本に松本製糸場38釜を設立、27年には、川岸村に新たな製糸工場三全社360釜を操業しました。28年には片倉組を組織して本部を三全社に置きます。30年には県外に進出、東京京橋に東京支店を出し、大正9年に片倉製糸紡績株式会社となり、経営の近代化を進めました。このとき、製糸工場数18箇所、釜数11,930、日本一の規模でした。
その後、全国1県に1工場を目標に事業の拡大を図り、名実ともに日本最大の製糸工場に発展、昭和の大恐慌も乗り切り、現在は片倉工業株式会社として発展しています。
片倉組本部事務所は明治43年(1910)、片倉組発祥の地垣外製糸場内に本部事務所として建設されました。本社が東京に移っても片倉組の本部事務所として残り、戦後印刷部局が独立して中央印刷株式会社となって引き継がれ、今もなお事務所として往時の姿をそのまま残しています。
木造2階建て瓦葺き(現在は銅板葺き)、間口13.6m、奥行き24.5m。明治後期から大正期の木骨鉄網コンクリートレンガ張りの特徴を良く遺しており、製糸工場事務所建築の貴重な遺産です。平成8年に国の登録有形文化財に認定されました。これは登録制度が始まって1回目のことであり、貴重な建物であることがうかがわれます。
【豆知識】 富岡製糸場と片倉
あまり知られていない話ですが、昭和14年に群馬県富岡製糸場も片倉の所有となり、昭和62年まで自動操糸機によって操業していました。
- 住所
- 岡谷市川岸上1-1-20