~製糸業により発展した糸都岡谷のシンボル~
昭和11年、製糸家により寄付された旧岡谷市役所庁舎。国登録有形文化財。
昭和初年の製糸業界は、昭和2年から始まった金融恐慌により、平野村(現岡谷市)では大製糸工場の倒産が相次ぎ、昭和4年の世界経済の大恐慌により製糸工場も大打撃を受け、失業者が続出、村民は不況のどん底に苦しみました。村会はこうした行き詰まりの村政を転換させ、製糸業一本の産業都市から多角的工業都市への発展を目指して再出発し、一新を計りたいと市制施行を熱望しました。
昭和8年以降、本格的に市制への検討が行われ、11年4月に平野村は岡谷市に生まれ変わりました。このとき、製糸家尾澤福太郎は市制施行に伴い新庁舎の必要性をしり、私財を投じて市庁舎を建築して市に寄付することを申し出たのです。
庁舎の南東脇には寄贈者の尾澤福太郎銅像がたたずみ、行き交う人を見つめています。尾澤福太郎は、9工場2,942釜の全国でも有数の大製糸工場カクキ尾澤製糸を経営しましたが、大正12年に片倉製糸と合併して常務取締役となりました。
建物は、鉄筋コンクリート2階建て、延床面積は1,517平方メートル、瓦葺、タイル張りの当時としてはモダンな建物。1階はカウンターがめぐる庁舎の姿をほぼ残しています。2階には議員室や議場がありました。昭和62年まで市役所として使用され、現在は公益財団法人おかや文化振興事業団が使用しております。