~現在もなお諏訪式繰糸機で操業を続ける製糸所の繭倉庫~
昭和3年に創業し、今なお日本の製糸業の発展をけん引した諏訪式繰糸機による繰糸方法によって操業を続ける全国唯一の現役の製糸工場です。戦前に建築された繭倉庫が認定されています。
宮坂製糸所は昭和3年に創業しました。当時は、昭和初年にいくつかの中小の製糸工場が休業や倒産に追い込まれ、昭和2年には山一林組において労働争議が起こりました。このような中、8釜の工場から宮坂製糸所は船出しました。原料繭を少量ずつ仕入れ、糸価下落時の被害を最小限に抑えるなど、創意工夫と熱意で生き抜きました。
戦況が逼迫すると、宮坂製糸所でも生糸の製造は中止せざるを得ませんでした。戦後、繭を委託して自宅で糸を取ってもらう出釜方式から再開し、現在の社長の代には自動繰糸機を取り入れます。現在は、自動繰糸機が主流になった後も明治から昭和期かけて使われていた「諏訪式繰糸機」を稼働させ、また「上州座繰器」を用いて玉糸生産も手がけるようになり、発展を遂げていきます。
株式会社宮坂製糸所は、岡谷蚕糸博物館の移転開館に合わせて岡谷蚕糸博物館内へ移転し、製糸業全盛期の糸取の光景を現在でも見ることができます。繭倉庫は移転前の敷地内に現存しています。
- 住所
- 岡谷市東銀座2-13-28